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"悪魔使いは幸せになれない"なんて
いったい誰が決めたんでしょうね。
わたしが幸せかどうかなんて、他の誰にも決められないでしょ?
ねえ、わたしはいま、
だって、
わたしはいま、
「ねえ、なんか最近アクタベさんの様子おかしくね?」
「なんです急に」
光太郎の発言に、ベルゼブブは紅茶を飲みながら答えた。
冬の、ある日曜日の午後。
所長とバイト不在の芥辺探偵事務所では、居候の光太郎と悪魔たちがカードゲームに興じていた。
「せやせや!気を逸らせて勝と思たってその手には乗・ら・へん・ぞー」
言って、アザゼルは手札を場に捨てていく。
「おやおや可哀想に、このワタクシに勝てないと思って…」
「何だよ別にそんなんじゃねーよはい赤ァー!」
手札を捨ててニヤニヤ笑ってくるベルゼブブにイライラしつつ、光太郎も手札を捨てる。
「なんや色替えとかセコイ手使いよるのォ」
「コータロー俺もやらせろ」
光太郎の肩の上から猿が羨ましそうに覗き込む。
「グシオンお前ルール覚えてねェだろが!ゲッ、俺一番アガリに近かったのに!!
ゼルさんそれ2枚取るやつだろまとめ出しすんなってー!」
「ククク甘いですねェ、私も持ってるんですよ大人しくプラス8枚持って行きなさい」
ニタァ、と非常に悪どい笑顔で「+4」と書かれた札を捨てるベルゼブブ。
「うっわひでぇ何ソレ二人してイジメかよ!」
「これが戦略と言うものですよ少年。さァさァ青にチェンジですよ!」
ぶつぶつ言いながら山札からカードを引く光太郎を
ベルゼブブはヒレでぺちぺち叩いて「早くしろってんだよオラァ!」と口汚く急かす。
「くそー、後で覚えてろよー!!」
「そういや、アクタベはんの調子がおかしいてどーいう事や」
どこがやねん、とアザゼルは手札を矯めつ眇めつしながら言う。
「ここ最近召喚されてませんでしたからね」
場合によっては芥辺を出し抜くチャンス、とばかりに興味津々に聞く悪魔二匹。
(グシオンはボケっとしながら耳を掻いている)
「ああうん、俺もさぁ、はっきりとはわからないんだけどさ」
自分の手札を捲りながら、空中を見つめる光太郎。
「なんかさー、普段と違って自分にイライラしてる感じ?」
「「…………………………ブハッ」」
「や、俺も!俺もさあ、おかしいとは思うよ!?」
吹き出す二匹にむくれて口を尖らせる。
「ないわー、そーれーはないわー!」
「あのアクタベ氏が!自分に!プッ」
「はいはいわかりましたわかりましたァ!もーいいよ」
ゲラゲラと笑い転げる二匹に言って、光太郎は次に出す手札を吟味する。
手元に置いた茶をすする。薄い。さくまが不在なので銘々に適当に入れたものだ。
最近のアクタベさんの様子見てたら、きっとこいつらだっておかしいって言うと思うんだけどな。
やっぱりさくねーちゃん絡みなのかなあ。確実にあのおっさん、ねーちゃん好きだもんなあ。
待てよ。さくねーちゃん絡みで、自分にイライラ。
…つーことはなんですか。もしかして恋のお悩みでモダモダしてるとかですか。
まさかなー。あの鬼畜で唯我独尊なおっさんがか。
うわー…何だろうこの鳥肌。
「あー……」
「なんやねん」
「全くです」
ひとりで百面相している光太郎を、鬱陶しそうに見るアザゼルとベルゼブブ。
「やー、心配するほどのことでもないよな。考えてみれば」
何だか気に掛ける事すらバカバカしくなってきた。
もし自分の考えが当たってたとしたら。
リア充爆発しろ!とぐらい、叫んでやりたい。
*****
(何で断らなかったんだろうわたしぃぃぃ…!)
光太郎と悪魔たちがゲームに興じているのとと大体同じ頃。
とあるマンションのエントランスに、オートロックの前で頭を抱えているさくまの姿があった。
教わった部屋番号のメモを握り締め、パネルのボタンを押そうとしてはみるものの、どうにも踏ん切りがつかない。
わたしはただ家事をレクチャーしに来ただけだよ、うん。
そう自分に言い聞かせるさくま。
「……」
(ゆみちゃんやっぱりダメだよ~)
ひゅうひゅう、と苦しい深呼吸をしても、一向に楽にならなかった。
「えっ、絶対行った方がいいって!」
そんなチャンスなかなかないじゃん!
時は少し戻って土曜日の午後。大学にほど近い、最近雑誌で話題の喫茶店。
いきなり上がった大声に、他の客の視線が一気に集中する。
「ゆ、ゆみちゃん!!声!声がでかい!」
あ、ゴメン。思わず立ち上がっちゃった。てへ。
さくまの制止に小さい声で謝ってから、席に着くゆみ。
「だけどさ、さくまさん、ほんとだよ?せっかく誘ってくれたんだから、ここは行っとかなきゃ!」
ガラス製のティーポットから紅茶を注ぎつつ、うんうんと頷いて言うゆみ。
彼の部屋に行くならオシャレしてかないとだねー。
「ち、違うよ?!そんなんじゃないよ?だって付き合ってなんかないし!上司と部下だし!
顔は怖いし!鬼畜だし、意地悪だし!かなり自分勝手だし!」
昨日だって、いつ来るの?なんてからかってくるし!
皿の上に乗った人気のケーキをフォークでつんつん突きながら、さくまは延々とまくしたてる。
あらら。ひどい言われよう。ところでさくまさん、楽しみにしてたケーキ、粉々になっちゃうよ。
「ふぅん。でも好きなんだよね?」
そう尋ねると、彼女はガチャン、と手に持ったフォークを落とした。
「誘われたからって、好きでもない人の部屋に行くの?」
耳まで真っ赤にしてプルプル震えだしている。
さくまさん、わかりやすいなあ~。
「好きだなんて言ってないよ!」
うんうん。分かってる。言われてないもん。さくまさんみてたら分かるよ。
「ふふふ、さくまさんは可愛いなあ」
言って、ゆみはゆったりと紅茶を飲む。
さくまの話の中に、時々登場するバイト先の上司。
さくま曰く、鬼畜上司だとか。部下に物凄く厳しくて、怖い人らしい。
それはもう、怒っている彼をみて震えてちびりそうになる者もいるほどだとかで。
だが、さくまから伝え聞く彼の行動や言動から、
彼女を特別に思っているだろうことが、ゆみには容易に想像がついた。
「好きなら、一気に接近するチャンスだよ?」
「いや、でもわたしがどんな家に住んでるか気になるみたいな発言しちゃったからで!
説明するより実物見せたほうが早いとか、きっとそういうことだよ!」
おお。上司さんはアクタベさんっていうのね。初耳。
ねえさくまさん、好きでもない子に家においでなんて言わないよ。
ゆみは心の中でこっそり嘆息した。
さくまさん結構可愛いのに。今までどんだけフラグ折って来たんだろ。
苦労してますね、アクタベさん。
ああ、確実に両片思いっぽいじゃない。もうちょっとなのにね。
「さくまさん!これから一緒に買い物いこ!丁度アクセサリーのバーゲンやってるとこ知ってるの!
趣味が良くて可愛いやつ、一緒に見つくろってあげるから!」
「ちょ、ゆみちゃん?!」
急にガタッと音を立てて立ち上がるゆみに、驚いて目を丸くするさくま。
見ていてすごいもどかしいから、応援したくなっちゃうんだよね、この子。
好きだって分かったなら、押して押して押しまくらなきゃ!
エントランスで悩み初めて15分以上経った頃。
(ああああ仕事だと思えばいいじゃないりん子!ここまで動揺する必要ないじゃない!)
思わず大きな溜息をついて、オートロックのパネルに手をつき俯くさくま。
前日にゆみから「頑張ってくるんだよ!」と言われながらプレゼントされた、
シンプルなネックレスが首元でゆらゆら揺れる。
(ただボタンを押せばいいだけじゃない~)
「……何してんだ」
気がつくと私服姿の芥辺がすぐ側に立っていた。
襟ぐりの大きく開いた細身の黒のニットに、土埃色のパンツ。
「うわっっっ!!」
色気のない声を上げて飛び退くさくま。
「びっくりしたぁぁ!」
「……時間になっても上がって来ないからだろうが」
教えた番号忘れたの、と聞きながらパネルに鍵を挿して扉を開ける芥辺。
「いや、そ、そう言う訳ではなかったんですが…スミマセン…」
「……ふぅん。」
のそりと歩いて行く芥辺に付いて歩くさくま。
「…少し、心配した。」
「え…?あ…」
エレベーターのボタンを押しながら言う彼の顔は、さくまには見えない。
「……なにかあったのかと思った」
ぽつりと呟いた背中を見る。目がちかちかした。
心臓が跳ねた瞬間に、ドアは閉まる。何と答えていいか思いつかずに、さくまは赤くなって俯いた。
「…此処。」
芥辺がぼそりと言って示したのは、606号室。
シンプルな黒い扉。名前を入れていない表札。芥辺が鍵を回して扉を開くと、少し重めの音がした。
「おじゃましまーす…」
恐る恐る玄関に入る。革の匂いがした。
「わぁ、いっぱい持ってるんですね、革靴。」
さくまは靴箱に並ぶ革靴の数を見て言う。
「まあ、私服を着る機会もあまりないしな。スーツに合わせるとなると、結果的に。」
靴箱のすぐ近くにあったクローゼットには、
先日一緒に買いにいったコートとマフラーが綺麗に掛けられていた。
思わず頬が緩み、唇が弧を描く。妙に嬉しくなって、頭を軽く掻いた。
入って、と促されて慌てて廊下を進み、辺りを見渡してみる。
勝手なイメージで、結構散らかっているかもしれないと思っていたが
かなり片付いている、……というよりも殺風景な部屋だった。
机と、ローテーブルと、ベッド。広めの部屋に、ぽつん、とそれだけ。テレビすら置いていなかった。
机の上にはいつも事務所に持ってきているアタッシュケース。
そして、彼がいつも使っている携帯電話。
「結構片付いてるんですね…」
「特にあまり必要なものもないしな。特別なものは事務所に置いているし
仕事に必要なものは大体そのケースの中で事足りる。」
ボンヤリと、遠くを見るような目で答える芥辺の顔。
「そっか…」
小さく呟いて、さくまは彼の視線の先を見た。
*****
昔々の話。不老不死の孤独の王は、自らの死を装って国を捨てた。
賢王と呼ばれ、国を繁栄させ、平和に統治し敬われた彼の治世。
彼の知恵を頼って人々は昼も夜も絶え間なく、彼のもとを訪れた。
-----賞賛。名声。栄光。嫌悪と侮蔑の中で生きた少年時代とは逆転した境遇。
彼は、始終側に悪魔どもを従えていた。そして、人々に囲まれていた。
それでも、彼には何かが足りなかった。
彼の知恵を以てしても出ない答えがあった。
失った死と言う終着点。
延々と続くであろう生。
そして、茫洋とした孤独。
何とかして出口が欲しかったのかもしれない。
豪奢な上着を捨て、代わりに粗末な外套を。
重たい冠を捨て、暑い砂漠を行けるように、頭には布を巻き。
僅かな路銀と、駱駝に乗せられるだけの水と食料。
身軽になって、何処までも行けば、何か見つけられる気がした。
*****
「いいなああ、こんなに広いキッチン…!」
どう考えても殆ど使った痕跡の無いキッチン。
「うわあ、こんな大きいシンク羨ましい…!」
シンクの縁をさすって、いいないいなと繰り返し呟くさくま。
「もったいないなあ、使ってないでしょう、これ。」
わあ、コンロ4つ口もある!調理スペース広いなあ!わ、オーブン据え置き型だ!
これならカレー作りながら他の料理も楽々作れるなあ、いいなあ。
と、さくまはくるくる動き回りながらキッチンをいじる。
「…そんなに羨ましいもの?」
はしゃぐさくまに半ば呆れた様に尋ねる芥辺。
「そりゃあもう!これだけのスペースあれば好きなだけ料理できますよ!」
「…ほんとに料理好きなんだな」
芥辺は手持ち無沙汰そうに両手をポケットに突っ込み、彼女の行動を後ろから見た。
「だって、どうやったら美味しくなるかとか、綺麗に仕上がるかとか、考えるの楽しいですよ!
工夫すればお金を節約できますしね。」
うわ、調味料も塩コショウしか置いてない、油は置いてないんですか、あ、お醤油は辛うじてあった。
などと、さくまは楽しそうにぼやく。
「あっ、すみません、調子に乗ってつい人の家の台所勝手にいじっちゃった」
「別に。全く使ってないのも事実だし」
言われて、へへ、とはにかむさくま。
「……使えば」
「へっ?」
「別に使ってもいい。俺は使わん」
「ほんとですか?!おお、何作ろう!材料要りますねー」
後で買いに行きましょうかー、と機嫌が良さそうなさくま。
「費用はアクタベさん持ちでおねがいしますねー!」
「…ハイハイ」
「何にしましょうね。いつもカレーばかりだし、和食のほうがいいですか」
うん、でもビーフシチューとか、洋食も作ってみたいなあ。また今度作っていいですかね。
芥辺は、あまり大きくはない目をいっぱいに見開いた。
そして一瞬、怪訝そうな顔をして目を瞬かせた。
-----また今度、ね。
さくまさん、自分で何言ってるか分かってる?
芥辺はそう思いながら、見ていて愉快だったので、何も言わずに見守った。
*****
「ちゃんとカレーマン買ってくださいよ」
「へーへー、分かってますよ」
昼食の確保のためにコンビニに向かう光太郎とベルゼブブ。
残りの二匹が昼寝を始めてしまい、叩き起こそうとしても無反応だったところに、
カレーマン1つを交換条件にベルゼブブが手伝いを買って出たのだった。
「まじ寒いんですけど…べーやんさんの羽毛と皮下脂肪が羨ましい」
ガチガチ震えながら二の腕をさすりつつぼやく光太郎。
ぶつぶつ言いながら顔を顰めつつ歩く。昼時と言う事もあってか人通りが多い。
歩き難いことこの上ない。
「失敬な。これは単なる仮の姿であって、体感温度とは全く関係ありませんよ」
ベルゼブブは高級感ある文様の入ったマフラーをヒラヒラ靡かせて、ブブブと羽音をさせながら光太郎に付いていく。
「あー…天気よくねェし、早いとこ済ませないと降るかもね」
また雪になるかもなー、嫌だなあ寒いおでん食いたい。
鼻をズルズル言わせ、マフラーを巻き直して光太郎は空を眺めた。
「……あれ……?」
視界を雑踏に戻すと、見知った人間の姿に気づく。
あれってアクタベさんじゃね?と光太郎が指差す先を見るベルゼブブ。
その先には確かに、私服姿ではあるが見紛うはずもないアホ毛の男。
「確かにそうですね。って……おや?」
芥辺の隣には、自分達がとてもよく見知った女性の姿があった。
何事かを話しては、赤くなった顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに笑っている。
そして、二人の手にはひとつずつエコバッグが提げられていた。
「……」
光太郎とベルゼブブは、気まずそうな顔で黙って視線を合わせる。
「ねえべーやんさん。あれってさあ」
「ええ」
どちらからともなく深い溜息をついた。
「間違いないよな」
「…そうですね」
しばらく召喚されない間に一体何があったんです…
何でしょうねあの空間…あの花でも飛びそうなオーラは見るに堪えません
そう言ったベルゼブブは砂糖でも吐きそうなひどい顔だった。
「今日ってさあ、日曜日だったよね」
「そうでしたね」
日曜日に二人で買い物か。十中八九確定だなこりゃ。
思わず額に手を当てる光太郎。
「あのさあ、べーやんさん」
「何です」
「今の話…ゼルさんにはしないでおこうぜ…」
話がややこしくなりそうだから、とげんなりして言う光太郎。
「そうですね…アザゼル君のとばっちりを受けてアクタベ氏に殺されたくはありません」
二人の長い長い溜息が、寒空に吸い込まれていった。
*****
「それにしても、アクタベさんの包丁の持ち方が怖すぎて死ぬかと思いましたよ~」
どす黒いオーラ纏っててまるで殺人鬼みたいでした、と失礼な事を平気で言うさくま。
「何でイキナリ逆手に持つんですか!アーミーナイフじゃないんですから」
「いや何故と言われても」
テーブルに並んだ料理を食べながら、芥辺はさくまに叱られていた。
自分の不得手な範疇の話なので、流石の芥辺も反論できない。
「野菜持つ指も伸ばしたまま切り始めるからヒヤヒヤしましたし」
でもアクタベさんでも出来ないことがあるんだなと思ってなんか嬉しかったです。
味噌汁を飲みながら、クスクス笑って彼女は言った。
どうですか、料理した感想は。
「やってみるとなかなか難しいもんだな」
「ふふふ、頑張ってましたよね。魔法陣描いたり、細かい作業得意なはずなのに、プッ、見てくださいこれ」
切りきれずに繋がったままの人参を、箸でつまみあげながら見せる。
「ぐっ……」
「ぶっ…ぷくく、は、ぶははっ」
反論できずに黙りこむ芥辺に、耐えきれずに喉を震わせて爆笑する。
「ははははは、は、ああ、面白かったぁぁ」
「覚えてろよ、さくまさん」
少し青筋を浮かべて言う芥辺に、アクタベさんでもそんなこと言うんですね!とさくまはまた腹を抱えて笑った。
*****
小さい頃。少年はいつもひとりで、自室に篭って暮らしていた。
屋敷に閉じ込められて、ひたすら、ひたすら、本を読み続けた。
襲いかかる飢餓感を埋めるために。
物足りなさを忘れるために。
やがて大人になり、どんなに周囲に頼られ、慕われ、敬われようと彼はいつでも独りだった。
彼の欲した答えは、決して独りでは見つけられないものだったのに。
そしてそのことを彼に教えてくれるものは、誰もいなかった。
誰かと生きて、初めて手に入れる答えを、
彼は独りで手に入れようとして、ひどく長い間彷徨った。
*****
「あ。これ前にもアクタベさんが読んでた本だ。」
机の上に、本が一冊置いてあった。それを手に取って、さくまはページを捲ってみる。
「…本は、好きで。集めてるからな」
食後、さくまが入れた茶を飲みながら芥辺は答えた。
「アクタベさん、いつも色んな本読んでますもんね。」
「まあな。気になったものは端から読むようにしてるから」
さくまが手に取った本は、色褪せ、ぼろくなった古書だった。
グリモアを読み解くための関連書籍の様なもの。
その巻頭には、こう記されていた。
"悪魔使いは、幸せにはなれない"と。
「ねえアクタベさん。」
「なに」
さくまは、ボンヤリとページを繰りながら尋ねた。
「"悪魔使いは幸せになれない"なんて、誰が最初に言い出したんでしょうね」
「…さあな。」
「この本を書いた人の感想なのかな」
「どうだかな。こういった類の本には、時々そんな語句が書かれてる」
言って、芥辺は近くのクローゼットの中に数冊置いてあった同種の本を捲る。
アクタベさんも、以前同じことをわたしに言いましたよね。とさくまは言う。
「そうだな。経験上も、歴史上も、幸せになった者の話など聞いたことがない」
それを聞くや、彼女は怪訝な顔をして言う。
「でもそれって、なんだか違うと思います」
彼女の言に、芥辺は開いた本を閉じた。
「何故?」
「わたしが初めて、その話をアクタベさんから聞いたときね、
「じゃあ私の人生なんて、お先真っ暗だ」なんて、絶望しかけたんです。でも」
さくまも同じように本を閉じて、芥辺の目をみて言った。
「わたしが幸せかどうかなんて、他の誰にも決められないでしょ?」
「--------------」
芥辺もまた彼女の目を見て、目を見開いた。
すると、さくまはいつものにへら、としたゆるい笑顔を見せた。
「アクタベさん。」
「なに」
「わたしね、自分がとても幸せだと思ってるんですよ。」
心底嬉しそうな顔で言うので、芥辺は内心戸惑い、黙って話を聞いていた。
アザゼルさんもベルゼブブさんも、鬱陶しいし面倒だし、特にアザゼルさんなんかセクハラばっかりだけど。
わたしの作るイケニエ美味しいってみんなが言ってくれるのが、幸せで。
コータロー君も人間版のアザゼルさんみたいでスケベだし、面倒だけど、
何だかんだ言って心配してくれたり、慕ってくれたりします。
それに、アクタベさんがいて。
アクタベさんは怖くって時々謎で、自分勝手で、卑怯だったりします。
だけどいつも心配してくれて、フォローしてくれますよね。
きっと、これからだって大変なことなんて数えきれないほどあるんでしょうけど。
みんないるから。だから、不幸だなんて思えないんです。
「だから、わたしはきっと、一番最初の幸せな悪魔使いなんですよ」
「あれ、なんでわたしこんな真面目な話しちゃってるんだろう」
顔を真っ赤にして慌てだすさくまを、芥辺はまじまじと見つめた。
「あ、すみませんすみません!今の全然流してくれてもいいとこなんで!」
「クックックッ……」
喉から笑いがこみ上げて止められない。
悪魔使いの道に引き込まれてもなお、自分を幸せだとのたまう彼女。
自分こそが幸せと感じているならば、不幸になどなり得ないという彼女。
まさに目から鱗が落ちた様だった。
「ぶっ……く、は、ははは!」
愉快で愉快で仕方がなく、芥辺は腹の底から声を上げて笑った。
よもや彼女が常日頃こんなことを考えていたとは思わなかった。
「あ、アクタベさん!顔!顔が怖いです!」
さくまは顔を引き攣らせながら言う。
「あのね、さくまさん」
はい?と首をかしげるさくまの後頭部を掴み、ぐい、と顔を近づける。
彼女の耳元で、彼女以外に聞こえないほど小さい声で囁いた。
「------------」
君があんなことを言うから。
自分らしくないことも、少しだけ受け入れられるような気がしてくる。
その先があるかもしれないと、期待してしまう。
打ち明けてもいい。そう思えてしまう。
言わなかった望み。自分の孤独。自分の弱さ。ひどく長い間認めてこなかったものを。
大丈夫だと、思わせる何かが、そこにあった。
……君は本当に、おかしな女だな。
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