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King of Solitude




ひたすら消そうとしたもの。
満たされなかったもの。
足りなかったもの。

諦めたようでいて、本当は探し続けたもの。
答えは思いがけずもたらされた。

気がつけばいつの間にか、あの飢餓感を忘れていた。






「うっせェんだよクソが!!!」

芥辺は既に青くぐったりしているアザゼルの首を握り締めると、鬼の様な握力でギリギリと絞めつける。
そのまま腕を振りかぶって投げつけると、ぐしゃ、と卵の潰れるような音を立てて壁一面に飛び散った。

パソコンで報告書の整理をしていた佐隈は
昨日掃除したばかりなのに…と面倒くさそうにぼやく。


「…すっかり通常運転じゃないですか」
ソファにちょこんと腰掛けて緑茶を啜り、怪訝そうな顔でぼやくベルゼブブ。

窓の外は、痛いほど青く澄みきった冬晴れの空。
薄く曇ったガラスをつう、と雫がつたう。

「なんだかなァ…」
その横で溜息をつきながら、光太郎はかりんとうを頬張る。
交互に佐隈と芥辺とを見る。茶を飲む。前と何か違うような。
かりんとう私にも寄越しなさい、と
ベルゼブブにヒレで腕をぺちんぺちんと叩かれながら、二人をじっと観察してみる。

台所から持ってきたゴム手袋を嵌めて、欠片を集めだす佐隈。
良いよ放っておいて、と言う芥辺に、そんなわけにもいかないでしょー、と答えて
雑巾で飛び散ったものを拭き取り、バケツの中に絞り出す。

小さく鼻で溜息をついて、所長席の革椅子に腰掛ける芥辺。
読みかけの歴史小説を手に取ると、相変わらずの仏頂面でページを捲る。

あ、やっぱりねーちゃんのことチラチラ見てる。

「アザゼルさーん。右腕もげてますよーはいこれ。」
飛び散った肉片から微妙に復活を果たしたアザゼルに腕を渡し、
佐隈はバケツに集めた肉片を戻してやる。

不定期にぱらぱらと聞こえる紙擦れの音。
あーあ、おっさんそんなところだけはダダ漏れだな。秘密主義者の癖に。




******



(----あのね、さくまさん。)


芥辺は手元の小説を捲りながら、
先日の自宅での、さくまとのやり取りを思い返していた。

少し翳り始めた陽が、自室のカーテンの隙間から何度も何度も目を刺した。
それを少し鬱陶しく思いながら、芥辺はさくまの後頭部を掴み、顔を近づける。
ふ、と佐隈が息を呑むのが彼には分かった。

真っ直ぐに自分を見つめる緑色の目。
遥か上空を行く旅客機の音が、締め切った筈の窓越しに僅か聞こえる。
確りと見詰めたまま交わされる視線。
何時もは自分の心に平穏を齎すはずの静けさが、何故か心臓をざわめかせた。



(----少し長い話を、聞いてくれないか。)



佐隈にしか届かないほど小さく擦れた声。
一度出しかけた声を、飲み込みそうになる。
まさか自分が、戸惑い、躊躇うとは。

何に於いても自分の意思のみで物事を決定し、思惑通りにならないものは切り捨てた。
いままでそんな風に生きてきた自分がいま、彼女にだけは許されたいと思っている。

自分自身が滑稽で滑稽で仕方がない。
ただただ口元から漏れるのは、自嘲の笑みだった。




******



「なァなァさくー、」
やっと元の姿に近いところまで回復したアザゼルは、佐隈のズボンの裾を引っ張りながら言う。

「なんかおじさんにゆーとらんことあるんちゃうのん」
「は?何がですか」

アザゼルはするすると足元から腰へ、腰から胸元へ、胸元から肩へとよじ登る。
自席で小説を読んでいる芥辺と、佐隈とを交互に眺め、なんかあったやろ。そう耳元で囁く。
そして彼女を舐めるように観察して言った。

「見えへんなァ。…なんや。まだやったんか。」
さくまは、何を言っているのか分からない、と言うように首を傾げた。
やってへんならまだワシにもチャンスあるやん、と言った瞬間に、彼女の顔がじわじわ赤くなる。

「初めてはワシが貰うて前々から言うてたもんなー」
機嫌よさそうにニヤニヤと笑って言った瞬間、脳天にグリモアがめり込む。
「いい加減黙らないと制裁の呪文唱えますよ!」
普段は淡々と制裁を加える佐隈が、かなり狼狽して上擦った声で捲くし立てる。
なるほど、最近光太郎とベルゼブブがチラチラと二人を観察している理由はこれか。


「それグリモアで殴ってから言うセリフちゃうやん…」
アザゼルは思わず頭から噴出する出血をそのままにつっこんだ。


「ハァ、懲りませんね彼も…」
「勘付いてるよなゼルさん…めんどくさ」
かりんとうを齧りながら、二人並んで座り傍から眺めている光太郎とベルゼブブ。
光太郎は、軽く溜息をついた後、面倒くさそうな声でぼやいた。

「まあアザゼル君のことですから、能力をわざわざ行使せずとも、ピンと来るものがあったのかも知れませんね」
ベルゼブブは緑茶を啜りながら、眠たそうな目を更に細めて言う。
いつもにも増して佐隈にちょっかいを出しているアザゼル。
アザゼルはおそらく、佐隈に気がある。ベルゼブブも光太郎もこの点に関しては同意見だった。

「ゼルさんも結果分かってる癖に何でねーちゃんにちょっかい出すかなァ」
モゴモゴと口を動かし光太郎はうんざりしたように目を伏せた。

「彼の絶対的に足りない脳味噌では仕方のないことです」
光太郎にそう言って、ベルゼブブは短いヒレをいっぱいに伸ばし、テーブルの上のかりんとうを取る。

騒々しく騒ぐアザゼルと佐隈を、溜息交じりに見る。
そして、芥辺はと言えば。何事もなかったかの様に小説を読んでいる。

「…おいアザゼル」
「なななななあなんでっかァ?!」
「うるせェ。黙れ。」

彼は視線を手元の小説に落としたまま、ページを捲る。捲る。
つい先ほどまでアザゼルにからかわれて大騒ぎしていた佐隈は、小さく安堵の溜息をついて自席に戻る。

虚勢も張れずに引き下がるアザゼルを見て、二人は内心深く彼に同情した。
相手が悪かった。あの大魔王相手に、敵うはずもない。




******




さくまは、黙って聞いていた。
芥辺は、ひとつひとつ、言葉を絞り出すように話をする。

殆ど何もない芥辺の部屋。
壁に凭れて、二人並んで座っていると、
窓から僅かに差し込む陽の所為か、彼はひどく眩しそうな顔をした。

話はあまりにも突飛なものだったが、何故だかするすると受け入れられた。
身の回りで信じられないことが起こり過ぎて、感覚が麻痺しているのかも知れなかった。
何かを思い出すように吐き出される彼の声が、ひどく辛そうに思えたからかも知れない。

子どもの頃のこと。
数えるほどしか会話を交わしたことのなかった両親のこと。
ひとりきりでひたすら、ひたすら、書物を読み漁っていたこと。
初めて悪魔を召喚したときのこと。
死ぬことができない、呪いのこと。
いくら書物を読んでも拭えない飢餓感。

(アクタベさん。どうして私に話したんですか。)

チラと見れば、彼は真っ直ぐに前を見ていた。
さくまもまた、それを見て真っ直ぐに前を見た。
段々と翳ってくる陽が、カーテンの隙間を縫って目を刺すので、思わず目を細める。

(どうして、話そうと思ったんですか。)

表情の乏しい彼の顔は、冷えた陽光に照らされていた。
窓ガラスは結露で潤んで、ぼろぼろと涙を流しているようだった。




******



少年はひとり、暗い部屋でページを捲る。
しゅる、しゅる、と響く音は、静けさを余計に感じさせるだけだった。
部屋の扉が開いていることは知っていた。だが、出て行ったところで何になるというのだろう。

彼は、それで満たされることはないと思った。
無駄な期待をしたところで、自分の飢餓感を満たすものなどありはしないのだ。
ならば自分の力で探す他にないじゃないか。

荒れてぼろぼろになった手では上手く捲れない。上手くいかずに何度も何度も手放してしまう。
苛立って、手にしていた書物を勢いよく床に投げ捨てた。
喚び出した悪魔たちが好奇の目で彼を睨めつける。
彼らを蹴飛ばし、投げつけ、踏み潰す。そうしたところで全く気分は晴れなかった。

足りない足りない足りない足りない足りない、
寒い寒い寒い寒い寒い寒い、
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、

声にならない声を上げた。
やり場のない怒りで、耳鳴りがする、吐き気がする。
耳を塞いでも治まらないそれに、頭が破裂しそうだった。
目を見開いて、煩い、煩い、と呟いても、それは治まるどころか強くなるばかりだった。


----------


……誰かが呼ぶ声がして、ふと、少年は顔を上げた。




******



(---------あのね、さくまさん。)

さくまは芥辺を見つめた。
芥辺は、深く深く溜息をついた後、目を伏せて息を呑む。
そして、真っ直ぐ前を見た。喉がひどく乾いた様に感じるのは、おそらく気のせいではない。


(---------俺はね、君が、ずっとここに居たらいいのにと思ってる。)

芥辺は手持無沙汰な手を温めるように擦った。暖房は入れてあった筈なのにひどく寒いのだ。
絞り出すようにして声を吐く。それは喉に貼りつくようで、上手く形にならない。

さくまは彼の言葉の真意を取りかねて、怪訝そうな顔をする。
芥辺は手を組んだり、解いたりしながら、ぽつりと呟いた。

(------生きていて欲しい、ずっと。そう思っていることだけは、知ってて欲しい。)

俺の言いたいこと、わかる?
さくまを見て、芥辺は困ったような顔をした。
こんなことを伝えるのは、得意じゃないんだ。そう言って溜息をつく。



(---------つまりね。)
彼から視線を離すことが出来ずに、さくまは膝を抱える。


(---------俺はもう、独りにはなりたくないんだろうと思う。)

芥辺はひどく平坦な声で呟いて、窓の外を見た。その目は虚ろに陽を映す。
さくまは、スン、と鼻を鳴らして、目を伏せる。

どうして泣かないんですか。そんなに寂しそうな顔をするのに、なんで。
抱えた膝に顔を伏せるとまた、彼の声が降ってきた。


(残酷な事を、求めてるって分かってる)

---------一度選んだら、この先、泣いても喚いても戻れないから。
どんなに辛かろうと、痛かろうと、逃げたかろうと。終われない。
そんな道に、自分と同じ道の上に、さくまを引き込もうとしているのだ。



(すぐに答えて欲しい訳じゃない。ただ、俺がそう思っていることだけは、知ってて欲しかったんだ。)

遠くで踏切の音がしている。締め切った窓を超えて聞こえてくるそれは、やけに耳に響いた。


(…アクタベさん、どうしてわたしにそれを話したんです)
さくまは、芥辺の袖を強く掴んだ。離さないように。強く、強く。
彼ならば、黙って逃げ道を閉ざし、他の選択肢を奪うこともできた筈だった。
わざわざ同意を得て、意思確認などしなくても。悪魔使いの道へ引き入れた時のように。

(わたしがもしも、嫌だと言ったら、あなたは。)


ほんの少し、身体をずらして、彼に近づいた。
肩が触れ合って、温度を感じる。彼が僅かに震えていることに気づく。
ああ、この人でも怖いと思うことがあるんだ。それは、さくまをひどく安心させた。

「アクタベさん。」

なに、と答えるように、彼の腕がピクリと動いた。
さくまはそっと、頭を彼の肩に預けて目を閉じる。


寒いときには寒いって、言ってください。
わたしにだって、肩を温めることぐらい、できるんですよ。
ねえ、アクタベさん。

さくまは、ただ一言、温かいでしょ。と言う。
ふ、と笑った様な声を耳元で聞いて、へへへ、と微笑んだ。

そしてそっと、恐る恐る近づくように、顔を寄せ合った。




******


「さくまさんさくまさん、今日のイケニエは何ですか?」
「さくー、おやつ買うてーアイスー」
足元に纏わりつく悪魔二匹に、さくまはやれやれと息をついて席から立つ。

「ハイハイ、この前ベルゼブブさんが食べてみたいって言ってたルーで
ちゃんとカレー作りますよー。あ、そういえばお肉無かったや。肉なしでもいいですか?」
「何言ってんですかビチグソ女。手抜きは許しませんよ」
歯を剥き出しながら、ヒレでさくまの脛をペチペチ叩くベルゼブブ。

「さくー、アイスはー?」
「こんな寒い時期にアイスなんて食べるんですか?」
ふくらはぎをつついてしつこく聞いてくるアザゼルを払いながら言う佐隈。
呆れた、という調子で尋ねる佐隈に、アザゼルはチッチッ、と顔の前で指を振る。

「わかっとらんなーさくちゃん。冬に暖房が効いた部屋んなかで食べるんがオツなんやないかー」
「もう、しょうがないなー。アクタベさーん、ちょっとスーパー行ってきていいですか?」

芥辺は腕時計をちらりと眺めて、机の上に無造作に小説を置き、ゆっくりと立ち上がる。
「別にいいよ。…俺もちょっと出てくるから。」
「あ、今日も寒いですから、ちゃんと上着着ないとだめですよ!」

うん、と答えながら素直にコートを羽織るのを見て、満足そうに佐隈は笑った。
芥辺が荷物の整理を始めたのを見て、彼女は自らも自席の背もたれに
掛けてあったコートを身につけて、鼻唄交じりに支度をする。
「アザゼルさん、ベルゼブブさんも!ちゃんとあったかくするんですよー」
そしてパソコンの電源を落としながら、留守番おねがいね、と光太郎を振り返る。

「へーい。」
光太郎は面倒くさそうに、頬づえをついて返事をした。

悪魔二匹も小さい身体でわたわたとマフラーを巻く。
ベルゼブブはヒレの様な両腕で器用に身につけて、隣のアザゼルを優越感に浸った、自慢げな目つきで見ている。

「…じゃあ、行ってくる」
手早く準備を済ませて、アタッシュケースを手に取ると、芥辺は扉に手を掛けた。

アザゼルのマフラーを巻くのを手伝っていた佐隈は、顔を上げて彼を見る。
ぎゅうぎゅう締めつけているために、アザゼルの首から上が青くなってきていることにまだ気づいていない。

「アクタベさん!」

名前を呼ぶ声に、芥辺は少しだけ足を止めた。
光太郎はやれやれといった風に頬づえをついて、冷えた緑茶を啜る。
佐隈はいつもの緩い笑顔で笑って、言った。


「いってらっしゃい!」

芥辺は黙って立ち止まっている。
外を向いている芥辺の顔は、事務所の中にいた佐隈たちには見えなかった。
開きかけた扉からは、凍るほど冷たい風。首に巻いたマフラーに手を掛けて、彼は思う。

なるほど。確かに温かい。


「……うん。行ってくる。」




******



昔々のこと。少年は暗い暗い部屋のなかで、ひたすら書物を読み漁っていた。
それは、ただただ、飢餓感を埋めるため。

何かが足りなくて、それを埋めるように、
手が荒れてぼろぼろになってもなお、読み続けた。

積み重ねられ、ぼろぼろになった、部屋を埋め尽くすほどの書物。
いまはもう、主のないその部屋。
無造作に置かれたままの一冊が、ぱらぱらと風に捲られていく。

開いたままの扉。彼はそこには、もういない。

その名を呼ばれて、出て行った。



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