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寂しいとは、
言ってくれなくてもいい。
ただ、わたしがここに
いることで満たされるのなら。
初めにその視線に、気がついたのはいつのことだっただろうか。
つい最近だったかもしれないし、結構前のことだったかもしれない。
事務所でアザゼルさんやベルゼブブさんに
からかわれながら騒いでいる時。
コータロー君や小山内君に
手伝ってもらいながらお茶の支度をする時。
芥辺をふと見てみると、彼が一瞬、自分を見て
置いて行かれた子どもみたいな目をしたから、驚いたのだ。
それは、気をつけていなければ
分からないほどごく僅かな表情の揺れ。
彼がそんな表情をするとは思っていなかったから、戸惑って、息を呑んだ。
芥辺が気になって仕方ないのは、その所為だ。
きっと、この気持ちは、其処から始まった。
*****
「…あ!アクタベさん、お疲れ様です!」
さくまは、駅前に停めた車に凭れて待つ芥辺に大きく手を振った。
気がついて振り向いた彼に急いで走り寄る。
「遅れてすみません!教授に片付け頼まれて断れなくて」
白い息をつきながら言うと
「大学から連絡あったときは、まだ事務所にいたから問題ない」
乗って、と助手席に座るよう促される。
「わ、アクタベさんの車、外車なんですね!」
黒くて渋い感じの車を見て、さくまは
なんだかアクタベさんらしいな、この車。と思いながら乗り込む。
「…昔、海外にいて。最初に免許取ったのが向こうだったから」
自らも乗り込んで、シートベルトを締めつつ
こちらの方が慣れている、と芥辺は言う。
さくまは、バックミラーを調節している彼の手を、大きいなあ、と思う。
「さくまさんのよくいくスーパー、何処にあるの。」
俺、行ったことないから横から案内して。
言って、芥辺はハンドルを回す。
エンジンの掛かる音を聞きながらボンヤリとしていたさくまは慌てて、あ、はぁい、と返事をした。
「へへへ」
「なに」
「いえ、何でもないです!」
何故か、笑みが零れる。
答えられるわけがなかった。
何がこんなに楽しくて嬉しいのか、さくま自身、よく分からなかったのだ。
*****
目的のスーパーは、特段遠い場所にあるわけではない。
アザゼルやベルゼブブを連れて、徒歩でも行ったことのある小規模のショッピングモールだ。
芥辺の運転は意外と丁寧で、安心して乗っていられる。
信号停車中に正直にそれを伝えてみると、
そこまで好き好んで自分を危険に晒す趣味はないな、と憮然とした顔で答えが返ってくる。
ひとしきり笑ってからさくまは言う。
「でも、アクタベさんと買い物行くことなんてなかなかないから、なんだか新鮮な感じです」
「この前コート買いに連れて行かれたのは?」
「んー、あの時もあれはあれで新鮮でしたけどね!
スーパー、一緒に行くの初めてでしょう?」
ウインカーの音がカチカチと鳴る。さくまはそれに合わせて、脈拍が早くなるような気がした。
「まァ、そうだな」
「でしょ?」
笑い過ぎたかなあ、と心の中でそれを跳ねる鼓動の言い訳にして、
さくまは納得することにした。
*****
一番最初は、無愛想なただのバイトの上司だった。
その次は、傍若無人で、傲慢な、恐ろしい悪魔使い。
何だかんだで巻き込まれて、自分も悪魔使い助手になって。
彼の「その表情」に気づかなければ、
こうも彼のことが気になることはなかったかも知れない。
彼のことを、辛いと思うことも、苦しいと思うこともない人だと思ったままだったかも知れない。
いつでも平然と、自分の道を行ける人だと。
迷いもせず、悲しみもしないで生きられる人だと。
でも、それは間違いだ。
初めにその視線に、気がついたのはいつのことだっただろうか。
"寂しい" "暗い" "寒い" と。
自分を呼ばれた気がして。ひどく戸惑って。
アクタベさん!と、呼べばいつもの表情に戻るから。
それから、彼の行動や表情のひとつひとつが、気になって仕方なくなった。
だから、たくさん彼と話をしようと思った。
他愛のない話をして。愚痴を言って。冗談を言って。
表情の乏しい人だけれど、驚いたり、拗ねたり、羨ましがったり。
そんなごく普通のことを。彼も感じたりするのだと、知った。
一緒にいると楽しくなって。
彼の行動や表情のひとつひとつが、気になって仕方なくなった。
******
「わたしも運転免許取ったほうがいいかなあ」
便利ですよね色々と。
車を降りながらさくまは言った。
特に俺の用がなければ付き合うけどと、キーを掛けながら芥辺が答える。
「そうですよね、自動車学校通うのも結構かかりますもんねぇ」
「……」
さくまがそう言うと、芥辺はやれやれ、と呆れた顔をする。
「…へ?何か私変な事言いました?」
「いや別に」
後部座席に置いていた灰色のマフラーを取って、彼も車を降りた。
ゴソゴソとマフラーを首に巻き始めるのを見て、さくまは聞く。
「すぐ店内に入っちゃうのに、マフラー巻くんですか?」
「……寒いから。」
白い息を吐いて芥辺は答える。
「店内暖房入ってると思いますよ?」
さくまは首をひねりながら尋ねた。確かに曇り空だし、凍りそうなくらい寒いとは思うが。
「…いや、寒いから。」
そう言って譲らない芥辺に、
そんなに寒がりなら、なんでもっと前からちゃんとコートとか着なかったんですか~
と ぶつぶつ文句を言いながら、さくまは彼について歩く。
ああでも、ちゃんと外に出るときは
防寒着つけてくれるようになって、よかったなあ。
と、にんまり笑って。
「えっと、まず目星付けてたのがジャガイモと、鶏肉だったよなー」
カートを押しながら、メモを見ているさくまに
芥辺は興味津々と言う様子で付いて回る。
「…あ、そう言えば消臭剤と掃除用の洗剤切れかけてるんだ。
アクタベさん、売り場に行って取ってきてくれませんか?」
芥辺を振り返ってそう言うと、彼はキョトンとした顔で黙り込む。
「ほら、アレですよ、アクタベさんがアザゼルさん踏み潰したときに
私が床拭くのに使ってる洗剤と、ベルゼブブさん召喚したときにスプレーしてるやつ!」
「…うん。それは知ってる。…何処?」
芥辺は少しイライラしたような口調で聞く。
「えっほら、天井のプレートに書いてあるでしょ?」
「ああ、そうなのか」
天井にかかったプレートを見て、
知らなかった、というような顔で呟くものだから、さくまは
でも大体は何処のお店でも天井のプレートに書いてありますよね?と聞いた。
「…スーパーなんぞ、初めて来た」
「………………え?」
一瞬聞き間違いかと思って聞き返す。
だから、スーパーなんて来たことないから。知らなかった。
ばつが悪そうに芥辺は言う。
「だから…正直…よく分からん」
「えっでも、お食事とか、お洗濯とか、どうしてるんですか」
「食事は大体外食で済ますし、洗濯はクリーニングに出してるからしたことないし。」
コンビニ弁当は買ったことがあるから買い物カゴを使うのは知っている。
と、目を逸らしてよく分からない言い訳をする芥辺。
「なんてもったいないことを…!そんな高くつくことして…!」
今度教えますから自分でやってくださいもったいない!
幾ら依頼で入ってくるお金がいっぱいあって
お金持ちだからって駄目ですよそんなんじゃ!
驚いた様な顔で、芥辺はさくまを見る。
さくまは彼の想定外の生活能力のなさに驚いて、
思わず声を大にしてくどくど説教を始める。
そんな時、子どものおつかい番組のテーマソングが店内に流れ始めた。
ひどく神妙な面持ちで聞いている芥辺に、さくまは思わず吹き出してしまった。
「何だ」
「だっ…、だって、ぷ、アクタベさんが!」
「どうした」
首を傾げて不思議そうに尋ねるその様が、更にさくまのツボに嵌ってしまう。
「ぶっ」
ひひ、もうダメ、だってアクタベさん!
ふ、腹筋痛い!はは、もう!もう!苦し、あははは!
腹を抱えて笑いだしたさくまに
芥辺はいよいよどうして良いか分からず、チッ、と舌打ちをした。
*****
何故こんなに気になるのだろう。
意外な一面を知って、親しくなったから?
----それだけ?
自分が何か出来るなんて思ってない。弱くて、未熟で、守られてばかりだとわかっている。
それでも、
辛いのなら頼って欲しい、苦しいのなら寄り掛かって欲しい、
痛いのなら理解したい。何に耐えているのか、気付きたい。
それが出来ないことが、悔しいのは。
どうしてだろう。
*****
「ふー!いっぱい買えましたねー!」
あー、良い買い物した!
買い物袋を下げて、さくまはホクホク顔で言った。
「そういえば、そのマフラーずっと巻いてましたけど、暑かったでしょ」
「…少し汗かいた。」
首に巻いたマフラーを少し緩めて、芥辺は答える。
「やっぱりー。だから言ったじゃないですか!
洗濯のしかた教えてあげますから、今回はクリーニング出しちゃだめですよ」
「マフラーなんて、家で洗濯できるもんなの」
「柔軟剤使えば大丈夫ですよー」
駐車場を芥辺と並んで歩いていると、親子連れの子どもと目が合った。
芥辺とさくまでそれぞれの手にひとつずつ下げた買い物袋。
すれ違いざま、あの子の目に、自分たちがどのように映ったのか。
それが気になって、かぁっ、と、顔が熱くなった。
俯いて、跳ね上がった心臓に鎮まるように強く強く、念じた。
ああ、そうか。
すとん、と落ちるようにさくまは気づく。
----だからわたしは。
なんだ。そうだったんだ。
「…くまさん、さくまさん」
「ひょぇ!?あ、はい!?」
素っ頓狂な声を上げてしまい、変な汗をかきながら答える。
「買い物袋、後ろに乗せるから。…貸して。」
キーロックを外して、車のドアを開けながら、芥辺は手を伸ばしてきた。
「あ、……ありがとうございます……」
そういう風に見られててもいいや。
そう思った自分に少し驚きながら、さくまは買い物袋を手渡した。
*****
事務所に着いてからすぐ、キッチンで買い物した食材を冷蔵庫に入れて、
まとめ買いした洗剤やその他諸々を、所定の場所に片付ける。
それを済ませ、さくまがコーヒーを入れて事務室に戻ると、
芥辺はソファに寝転がってうたた寝をしていた。
「あ」
テーブルの上にコーヒーを乗せたトレイを置いて、チラとカレンダーを眺める。
この後は依頼人が訪れる予定はない。
(アクタベさん)
そっと、声に乗せずにその名を呼ぶ。
そうして眠る彼の額をそっと撫でた。
(ここにいますよ)
僅かに芥辺の寝顔が穏やかになったような気がして、胸の奥がむず痒くなる。
(わたしは、ここですよ。)
(---------アクタベさん。)
(わたし、)
窓の外は白く霞む曇天。
薄く付いた結露が、すっと流れ落ちる。
キッチンのコーヒーメーカーが小さく揺れて、
シンクに浸けていた食器がカチリと音を立てた。
緩やかに、緩やかに、時が過ぎる。
そう。今はもう少しだけ、このまま。
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