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琥珀の雪




自分にこんな感情があったとは。
ああ、君ってやつは。







点々と灯った橙色の街灯が
ぼろぼろと降る綿雪と、薄く積もった雪道を照らしている。


「うわあ、もうこんな時間…!」

尾行調査が長引き、やっとひと段落ついたのは日付が変わってからだった。

「疲れたぁ…」

「お疲れ。…一応、送るから」

時間外手当弾んでくださいね!と
にまにま笑い、上機嫌のさくま。

ああ、わかったわかった。芥辺がそう答えてやれば、
約束ですよ!と目尻を下げて更に嬉しそうな顔をする。

「現金だな」

「だって、ユキチさんがいっぱいきてくれるんですから!へへへへ!」

何買っちゃおうかな、新しいコート欲しいな!これからの為に貯金もしなきゃだし!
今後の予定を組み立て始める彼女に、芥辺は借金の返済も忘れるなよと釘をさしておく。

「アクタベさんのいじわる…」
途端にしかめっ面をして睨め付けても、
怖くもなんともないので、聞こえない振りをした。

「あ」

さくまは芥辺の肩に積もった雪に気が付き、軽く払う。
そして、今日ほんと寒かったですよね~、と
冷えて赤くなった手を揉みながら吐く息で温め始める。

「…真っ赤だな」

「だってほら、写真とか撮る時に手袋付けてたら上手く扱えないですし。
女の子は冷えやすいんですよ。大変なんですよ?」

どれだけ冷えてんだと、単なる興味でその手を握ってみる。
そして思ったよりずっと冷えたその手に驚く。

「……確かに冷たい」

意識して人の手など握ったことなどなかったから、その冷たさに不安になる。

「ああでも、アクタベさんの手あったかいですね!
アクタベさんだって手袋つけてなかったのに。体温高いんですか?はぁ、ほんとぬくい~」

「そう? …さくまさんの手が冷えてるからじゃないの」

さくまは、日向で寝る猫の様に寛いだ顔で、にへらと笑った。




彼女はよく笑う。
よくそんなに楽しいことがあるものだな、と感心する。
思わず僅かに笑みがこぼれた。

金好きで、強欲で、そのくせこんなに簡単に与える。
笑顔を、思いを、言葉を、思った通りに吐き出してくる。
良くも悪くも素直で。隠しごとが下手な女。


人間を観察していて、良い意味で楽しいと思えたのは初めてのことじゃないだろうか。

誰かをずっと見ていたいと思ったことなど、
今までただの一度たりとてなかったのだから。



街灯は変わらず冷えた橙色の光を注ぎ、琥珀に染まる雪は依然として降り続ける。

遠くで微かにクラクションの音がする。
ひどく、静かだった。



******




(こんにちはぁ)


それはまだ、探偵の仕事を始める前のこと。
世界中を巡りながら、グリモアを探す旅。

確か、今と同じ寒い季節のことだ。


(ねぇねぇ、こんにちはぁ)

そんなある日、芥辺はしつこく自分を呼ぶ少女と出会った。
遠くで子どもの喚く声や、枯れた葉の擦れる音がしていたから、
多分公園か何処かでだろう。


俺に話し掛けるとは子どもの中には珍しい奴もいたもんだ、と芥辺は思った。
子どもには見た瞬間泣くか震えるか怯えて逃げ出すかの反応しかされたことがなかった。
しかし、そのしつこさが正直鬱陶しくて、イライラしながら無視し続けた。

(おとなり、すわってい?)

読んでいた本から目を離さず、勝手にしろ、と告げた。
お前に近づく子どもなど初めて見たと、連れていた悪魔も珍しそうに少女を見ていた。


(おじさん、このぬいぐるみさん、おともだち?)


---悪魔が見えている?

その言葉に、一瞬目を見開いた。
振り返って初めてまともに子どもの顔を見る。

吃驚したのか、いかにもどんくさそうによろけながら、
少女はにへら、と嬉しそうに笑った。



*****



「そういえば、この前のコートとマフラーちゃんと着てくれたんですねえ」


先日の行方不明者の所在調査依頼の際に、
さくまから散々防寒具を身につけろと言われ続け、芥辺は半ば無理矢理に店に連れて行かれた。

「さくまさんがしつこく買えと言うからな」

次から次へとあれやこれや試着させられて、最終的に買うことになったのが、
芥辺が現在着用している灰色のマフラーと、厚手の黒いトレンチコートという訳だ。



「絶対あの恰好は冬のスタイルじゃないです!
あのときだって自分でも凄く寒いって言ってたじゃないですか!」

どうですいますっごくあったかいでしょ!違うでしょ!

「…まあね」

二人はさくさくと雪を踏み締めながら歩く。
…確かに温かい。

「私の見立ても捨てたもんじゃないですよねぇ。良くお似合いですよ!」

芥辺はそういう時は普通プレゼントしてくれるものじゃないの、と聞いてみる。

「ダメです。女性の冬は色々と物入りなんですよ」

なるほど。彼女らしい。




******




終わりの見えない命に、
飽きたことは一度や二度ではない。



期限の失われた寿命を取り戻す事が、グリモア探しの理由のひとつでもあった。
悪魔召喚の方法以外にも役立つ術の記載がある事が多いからだ。

だが、何百年掛けても、
その方法は杳として知れなかった。


初めて自分を怖がらない子どもに出会ったあの日。

死ぬ方法を探すより、自分と同じ期限のない寿命を持つ者が、
"もうひとり"いたなら、少しは飽きずに楽しめるのではないかと考えた。

その瞬間、我ながら素晴らしい考えだと
背筋がぞくぞくする感覚を味わった。


思い立ったら即実行とばかりに、少女の額に人差し指を当て、呪文を一言詠唱する。
大人になったら、また自分のところに現れるように。

自分と同じように、この子どもの寿命の期限を奪ってやろう。
泣かれても、わめかれても、恨まれても、構いやしない。
自分に出会ったことが運の尽きと。



*****


暗い。
暗い。
ここは、寒い。



少年は、ひとりでひたすら本を読み漁った。
誰も来ないその部屋で、来る日も、来る日も。

ページを捲り続けた。子どもとは思えないような荒れた手で。
ひたすら。ひたすら。

着ている服も、与えられた食事も充分なはずだった。
家柄だけは無駄に良かった。

それでもその部屋は酷く寒かった。

腹が減れば呼び鈴を鳴らせばいい。
寒ければ無駄に広い寝台に登ればいい。

それでもその部屋はただただ寒かった。


足りない。足りない。
これじゃない。これじゃない。


正体の分からない飢餓感を埋めるために、何かに憑かれたようにページを捲る。
どんな本でも良いから、情報でその飢餓感を上書きしてしまいたかった。

物足りなさを埋める方法など、
本に齧り付く以外に知らなかった。



----何が足りないのか。
----何が足りなかったのか。

彼には、気が遠くなるほど時間がたっても理解出来なかった。


*****


「アクタベさん、アクタベさん」

信号待ちの途中、芥辺がボンヤリとその赤い光を眺めていると、
さくまがコートの袖をちょいちょいと引っ張る。

「そういえば、そろそろイケニエの材料が足りなくなりそうなんですよ。
特に依頼もなかったし、明日あたり買いに行きたいんですけど
アザゼルさんかベルゼブブさん、召喚して連れて行ってもいいですか?」

ソロモンリング解いてもらえればいい荷物持ちになってくれますもんね、
と、白い息を吐きながらさくまは言う。

「月一の特売日でジャガイモと鶏肉安いんですよー」

「…ふぅん」

いいんじゃない
そう答えようとして、ふと考えを変える。

「たまには車だそうか」

「えっ、アクタベさんって車持ってるんですか?!」



驚く彼女に、偶にしか乗らないけど、と答える。

うわ、アクタベさんどんな車乗ってるのかすっごい興味ある…!
と、目を輝かせながら完全に筒抜けの独り言を言うさくま。

やっぱり面白い、と芥辺は思った。

なぜこうも自分に興味を持ち、
自分のことでこんなに楽しそうにするのだろう、この女は。

そうこうしている間に、信号が変わって
足を進めながら彼女を振り返る。

「…どうする?」

「わー!じゃあおねがいします!」


スタスタと歩く芥辺の歩調に合わせるように、急いで小走りについてくるさくま。
ふと気がついて、歩調を緩めてみる。
やっと隣に追いついてきて、さくまはまた、へへ、と笑う。



足りなかった何かが埋まって行く。


初めは、珍しくて飽きそうになかったから。
ただそれだけで隣に置こうと思った。

その次は、彼女の人並み以上の才能に気付いたから。
傍に置いておけば、役に立つと思った。

だが今は。
失くしてはいけない気がして。
失えば二度と、この何かを埋めることは出来ない気がして。

気づけば、失うのがひどく恐ろしくなっていた。


最初は、死ぬ方法を探すより、自分と同じ期限のない寿命を持つ者が、
"もうひとり"いたなら、少しは飽きずに楽しめるのではないかと考えた。

いつしかそれは、失わないで済む方法に変わっていた。



自分の考えを知ったとき、彼女はどう思うだろうか。
軽蔑?嫌悪? …それとも。

「その時」のことを考えるとぞっとした。
ひどく自分らしくない思考だとは自分でも分かっている。

彼女はどう思うだろうか。
今自分に向けられた、その笑顔は?




*****



「すみません、家まで送ってもらっちゃって。」

「別にいいよ。お疲れ。」

彼女に返事をして、芥辺は足を止めた。

アクタベさんも、気をつけて帰ってくださいね。
言って、さくまはワンルームの自室へと帰って行く。

階段を登りきるのを見届けて帰路へ就こうとしたとき、上から声が降った。



「アクタベさん!じゃあ、また明日!」



芥辺はそっと手を振っている彼女を見上げて、軽く手を振り返す。

吐き出した白い息が、
凍る様な冷たい空気に溶けて消えた。

街灯の橙色の光が、暗い空に波紋のように広がり、
琥珀の雪は、絶えることなく降り続ける。

キシ、と踏み締めた冷たさに、彼はそっと息を呑んだ。

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